松尾大社と酒造りの縁?

阪急嵐山線の「桂」駅から二つ目の駅「松尾大社」で下車、右手には桂川にかかる松尾橋、左手の道一つ横断すると第2鳥居のそばに、「松尾社 日本第一酒造之神」と印刻された石柱があります。
境内に入ると奉納された清酒の樽が積み重ねられています。

松尾大社の御祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ) 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2坐を配祀し、京都最古の神社で、太古この地方に住んでいた住民が松尾山の神霊を祀って守護神としたのが起源とされています。
大山咋神はスサノオノミコトの孫神で、その出自は、『古事記』(神代 上)で「葛野(かずの)の松尾に坐して鳴鏑(なきかぶら)を用ひし神」で、「鳴鏑(なきかぶら)を用ひし神」とは弓矢の神、戦の神のことです。
市杵島姫命は宗像三女神の一柱で、668年(天智天皇7年)、筑紫国宗像から松尾大社に勧請されました。
彼女は元来沖ノ島にあって渡来人や海人集団から特別な崇拝を受けた海洋神であった。

古代信仰における「農耕神」と崇められた松尾大社は、平安京に遷都した後、「弓矢の神・戦の神」として畏敬されていましたが、「酒の神」とは「社伝」のどこにも書かれていません。松尾大社は酒造りにまったく縁がないのでしょうか。

ヒントは、5世紀頃朝鮮半島より渡来してきた秦氏にあります。
6世紀中期には、秦氏一族が鴨川・桂川の氾濫原野を本拠地として、この地の松尾の神を一族の総氏神と仰ぎ、土木、養蚕、機織りなどの殖産興業に力を発揮して栄えました。
併せて、秦氏による神酒の醸造管理が松尾大社を「酒の神」として性格づける基盤となったものと推察されます。
特に、近世以降は、醸造祖神として、全国の酒造業者や酒造関係者から崇敬されています。
以上

松尾大社 御朱印