日本の米による酒造りはBC600年頃、中国南部の長江流域の水耕稲作地帯から、水耕稲作技術と共に北九州の佐賀県地方に伝播し、それが瀬戸内海を通って大阪湾にそそぐ当時の淀川の支流の大和川を遡上して奈良に伝わり、ここで大きく発展した。
当時の酒造りは中国東周時代のもので、麹は発芽した米をカビさせた麹糵(きくげつ)を用い、これに水と蒸米を加えて発酵させる技法であった。中国では紀元前後、麹糵に変わって、保蔵性が高く糖化力の強い麦をカビさせた餅麹に変わった。この麹はフマール酸の生成量が高く、淡泊な日本の料理の味になじまず、日本では蒸米をカビさせたフマール酸生成能のない日本独自の撒(ばら)麹(こうじ)に発展し、現在に至っている。撒麹はアジアでは日本だけのもので、中国、韓国、東南アジアの酒造りはほとんど餅麹が使用されている。
渡来した当時の造りは1段仕込みであったが、室町時代(1560年)になると、勘合貿易による中国との貿易が盛んになり、新たに乳酸発酵を用いた酒母や段仕込みの技術が入って来た。この技術はやがて江戸時代中期(1685年)になると日本独自の生酛造りに発展し、今の日本酒の製造技術が確立した。明治末期(1909年)になると乳酸を添加した速醸酒母が発明され、また、昭和(1927年)に入ると、従来の唐臼搗精から機械搗精に変わり、精米歩合が50%以下になるようになり、今日の吟醸香の高い日本酒ができるようになった。