酒造りに適した米は江戸時代末期、灘地方で酒が大量に生産されるようになって、酒造家の要望と、米つくりに興味津々の篤農家の眼力と熱心な育種によって生まれた。現在、日本で栽培されている代表的な酒造好適米は山田錦(やまだにしき)、雄町(おまち)、五百万石(ごひゃくまんごく)、美山錦(みやまにしき)などを上げることができる。このような酒造りに適した米の総称し酒造好適米という。
近年、新しい酒造好適米が全国各地域でも続々と誕生し、その数はおよそ98種以上になると云われている。また、過去に栽培されていた米なども復活し、それぞれの地域で特徴のある酒の誕生を見ることができる。
いずれにしても良質な酒造好適米の生産地は一日の日照量が多く、昼夜の温度較差の大きい、清廉な水のある地域である。

1)酒造好適米と一般米との酒の品質の違い

酒造好適米は私たちが普段食べている一般米と同じ粳米(うるちまい)である。酒造好適米は一般米に比較して大粒で、蛋白質やミネラルが少なく、米の中心部に心白と云われるポーラスな部分があり、浸漬時、米粒内部までよく吸水し、蒸きょう(じょうきょう)によって表面が固く、内部の柔らかい、いわゆる外硬内軟の弾力のある蒸米(むしまい)になる。
このような蒸米は麹菌が米粒の内部までよく繁殖するためデンプンの液化酵素(α-アミラーゼ)に対して糖化酵素(G-アミラーゼ)の力価が高く、いわゆる“G/A比”の高い“つきはぜ型麹”がつくり易く、このような麹を使用したもろみは蒸米の溶解糖化とアルコール発酵がバランスよく行われ、吟醸香の高い、味に幅のある軽快な良質の酒になる。
一方、一般米は蛋白が多く、米粒が内部まで硬く、このような米は米粒内部への吸水が悪く、麹菌は米の表面にのみ繁殖し、内部への繁殖が極めて少ない。このような麹を“塗破精型麹”と云い、デンプンの液化溶解酵素力価が強く、逆に糖化酵素の力価が極めて低く、またタンパク分解酵素も強く。このような麹で酒を造ると香りが低く、味が薄辛く、重く、苦味のある酒になる傾向が強い。

2)酒造好適米の誕生の話

酒造りに特定の米が使われるようになった歴史は定かでないが、酒造りが灘地方で大量生産されるようになった江戸時代後期の頃からと思われる。それに代表させるのが当時兵庫県で栽培されていた山田穂(やまだぼ)などではないかと思われる。
現在、主に栽培されている酒造好適米は岡山県産の雄町(おまち)、兵庫県産の山田錦(やまだにしき)、広島県産の八反錦(はったんにしき)、新潟県産の五百万石(ごひゃくまんごく)、長野県産の美山錦(みやまにしき)などである。今ではこれらの米は全国的に栽培されて利用されているが、これらの米はほとんど雄町の血を引いている。

(1)雄町の誕生の話と酒質

雄町は「安政6年(1859年)岡山県上道郡高島村雄町(現岡山市中区雄町)在住の篤農家の「岸本甚造」氏が伯耆の国(現鳥取県)の大山詣での帰路、美作(現岡山県美作市)の田圃で草丈が長く、たわわに大粒の穂をつけた稲を発見し、田の持ち主から分譲を受け、持ち帰って、自宅の田で栽培したのが始まりである。この米が大粒で軟質であることから酒米に適していることが分かり、当初は稲穂2本を持ち帰ったことから二本草とよんでいたが後に渡船(わたりぶね)、最後に発見者であり育ての親である岸本氏の出身地の地名から『雄町』(おまち)と命名された
酒質;白米の心白が菊花状で、蒸米が酒米の中でも最も柔らかく、精米中に割れやすく、搗精(とうせい:精米ともいう)歩合が50%程度までとされているが、タンパク質やミネラルが少なく、濃醇で上品な酒になる。

(2)山田穂の誕生の話と酒質

山田錦の母親である山田穂(やまだぼ)の誕生説は緒説があって明確ではない。ここでは代表的な説について紹介する。「江戸時代から安田米(酒米)の産地として知られる兵庫県多可郡中町で酒米の産米改良に心をくだいていた豪農『山田勢三郎』氏が明治10年頃、自作田の稲穂の中から酒造家好みの稲穂を発見し、その種子を上田にまいて試作を繰り返してみたところ、立派な酒米ができたので、自分の姓をとり「山田穂」と名付けた。酒質:雄町より若干硬く、味は中庸である。

(3)山田錦の誕生と酒質

山田錦は「山田穂(やまだぼ)」を母に「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」(雄町)を父として大正12年に兵庫県の農業試験場で交配されて誕生した品種である。硬さは雄町より若干硬く、米粒心白は線状で精米によって割れが少なく精米歩合が35%まで搗精(とうせい)が可能で大吟醸酒など高品位の吟醸酒造りに最も適した品種である。清酒は香味共にバランスが優れ、新酒鑑評会等に出品酒に最も多く使用されている。

(4)五百万石の誕生と酒質

五百万石(ごひゃくまんごく)は昭和32年新潟県農事試験場で菊水と新200号を交配してつくられたもので、新潟県の米の生産量が500万石を突破した記念に命名された品種である。現在、酒造好適米の作付面積が第一位で、生産地は山形、新潟、福井、富山、石川、福島、兵庫、島根など東北南部から九州北部まで幅広く栽培されている。
この米は雄町の血を四分の一引き継いでおり、大粒であるが雄町や山田錦に比較して蛋白質やミネラルが若干多く、米質は両者に比較して若干硬いものの栽培が易く、前述したように酒造業界で最も多く使用されている。酒質は雄町や山田錦に若干劣るが消費者に愛される美味しい酒ができる。

(5)美山錦の誕生と酒質

美山錦(みやまにしき)は昭和27年長野農業試験場で育成された「たかね錦」に、昭和47年、同試験場の農水省放射線育種場でCo6030Krを照射し、大粒で良質なものを個体選抜して、昭和53年に誕生、「美山錦」と命名した。米質は山田錦や雄町、五百万石に比べて若干硬いが、淡麗で美味しい酒が出来る。

(6)八反の誕生と酒質

八反(はったん)は広島を代表する酒造好適米。江戸時代の末期のころ米の品種改良の研究に熱心に携わっていた民間育種家の大多和柳祐翁(1819年-没年不明)が大粒で心白のある米を見つけ出し「八反草(はったんそう)」と命名した。明治8年(1875年)に育種が始まり、後に「八反」として広島を中心に広く栽培されるようになり、日本酒の銘醸地の広島に相応しい酒米として酒の品質向上に大きく寄与した。米質は山田錦や雄町に比べて若干硬いが、雄町と同様に、これを親とした「改良八反流れ」や「八反錦」など新しい酒造好適米が誕生した。酒の味は中庸で広島の銘酒に相応しい酒造好適米である。