先日、酒造りの歴史、語り継がれる技に少しでも直接触れたく、丹波篠山市の「丹波杜氏酒造記念会館」を訪ねました。「大阪」から丹波路快速列車で1時間7分で「篠山口」、そこから神姫バスで「春日神社前」下車、徒歩5分で到着しました。
館内には、酒造技術の近代化によって失われつつある各種の酒造用具類が酒造りのいくつかの過程ごとに提示されています。また酒造出稼ぎ技術集団「丹波杜氏」の由緒などの資料もあり、じっくり見学することができます。丹波篠山市は2015年、文化庁が創設した制度「日本遺産」に、『デカンショ節-民謡に乗せて歌い次ぐ故郷の記憶-』のストーリーで第1期目で認定されています。

デカンショ節
「デカンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす ♪」

「灘の銘酒は どなたがつくる おらが自慢の 丹波杜氏 ♪」

と唄われている丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に”日本三大杜氏”の一つに数えられ、徳川九大将軍「家重」の御代宝暦5年(1775年)、篠山曽我部(現在の丹波篠山市日置)の荘部衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされています。
丹波杜氏発生の要件は二つあるといわれています。
その一つは、地理的に池田、伊丹、灘に近く、これらの地区における酒造業の発達に伴う労働力や技術を求められたこと。
もう一つは、丹波篠山地方の気象条件が冬場の農業の発達をさまたげ、農業以外での副収入の道を求めざるを得なかったことといわれています。

最後に、丹波杜氏の特徴は、かれらが伊丹、西宮、灘を中心とする地域で活躍、かつ主家のことを我がことのように考え、一度仕えると運命を共にすると高く評価されています。併せて、厳冬期に仕込む「寒造り」、発酵を促す「三段仕込み」、端麗な味を生む酒造法の確立など、酒造りの技術を磨き、道具に改良を重ねてきました。

これら現代の清酒につながる酒造りのスタンダードを築きいてきたことが2020年に認定された日本遺産『「伊丹諸伯」と「灘の生一本」-下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷-』に繋がっていると思います。

以上