神代の時代、稲作の伝来以降、五穀豊穣を感謝し、祈念する神事が私たち日本人の暮らしの中に浸透していました。
お酒造りは、神事に際しての重要な先駆け儀式として始まり、神事の最後には、新撰としてして捧げた”米、酒、餅”などを参加者一同が共に食することにより、神様との一体感を持ち、加護と恩恵を得ようとする『直会(なおらい)』と呼ばれる儀式が行われました。
神事の後の『直会』、更にはその後、場所を移して行われる本格的な祝宴は『無礼講(ぶれいこう)』と呼ばれ、現代の宴会の原型となっています。
日本において、最初に【酒】という文字がでてくるのは『記紀神話』です。
原料としては果実や穀物もありましたが、稲作が定着するにつれ、米以外の酒は急速にみられなくなりました。当然、ろ過や精製技術はありませんから、できた酒は【どぶろく】と推察されます。
平安時代の祝事にには、”黒貴(くろき)、白貴(しろき)をそなえ・・・”とあるので、その頃までは一般的に酒は濾されず飲まれていたようです。当時の濾された清酒(すみざけ)は、現在の清酒のように透明度の高い酒ではなく白酒の上澄み液のことです。
中世にかけて、今日的な宴会が発達してきます。
貴族たちの宴で、自然の変化を楽しみ、歌を詠み、酒肴も一段と趣向がこられ、かつての神々と共にあった宴とは全く異なった飲酒文化を見ることができます。
貴族社会が終焉、武士が台頭すると、祝宴は戦勝祈願のセレモニー色が強くなってきます。『三三九度』の盃は、もともと出陣の儀式で行われたものです。
江戸時代に入ると、平安貴族とは趣の異なる庶民的な遊芸色の濃い酒の文化が現れます。
このように、”お神酒あがらぬ神はなし”と評されるほど、酒文化は古代より日々の隅々まで日本的文化展開を形成してきています。