前回までの「風土記(ふどき)の世界の日本酒造り」に引き続き、今回は「古事記」の世界の日本酒造りについて紹介させていただきます。
まず最初に、「古事記」について簡単に説明します。
「古事記」は、712年(和銅5年)、元明天皇(げんめいてんのう)の命を受けた太安万侶(おおのやすまろ)が、稗田阿礼(ひえだのあれい)が暗唱していた「帝紀」(天皇の系譜)、「旧辞」(古い伝承)を基礎に書物としてまとめたもので、現存する最古の歴史書と言われています。
古事記の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わっており、最古の写本は、名古屋市中区の大須観音にある真福寺文庫所蔵の国宝「古事記」です。
「古事記」の上巻は、以下の通り、三つロマン溢れる神代の物語で構成されています。
 1.「高天原神話」
  (1) 天地のはじめ
  (2) イザナギ、イザナミ男女二神の物語
 2.「出雲神話」
  (3) 天照大御神(アマテラスオオミノカミ)、スサノオノミコトをめぐる物語
  (4) 大国主命(オオクニヌシノミコト)の神の物語から国譲り
 3.「日向神話」
  (5) 天孫降臨
 (6) 海幸、山幸物語
  (7) 神武天皇物語
それでは、「古事記」の世界の酒造りです。
神代の物語の三分の一が「出雲神話」であり、そのなかで、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の記述で太古の酒造りの話が出てきます。
“そこで、速須佐之男命は、すぐにその少女を神聖な爪櫛に変えてみずらに挿し、足名椎・手名椎神に、「あなたたちは、何度も繰り返して醸した強い酒を造り、また垣を作って廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒漕を置いて,槽ごとにその強い酒を満たして待っていなさい」と言った。
そこで、足名椎・手名椎は言われた通り、そのように準備して待っている時に、かの八俣のおろちが、本当に言ったとおりにやって来た。おろちはすぐに、酒槽ごとにそれぞれの頭を垂しいれて、その酒を飲んだ。そして酒を飲んで酔い、その場で伏せて寝てしまった。”(スサノオのヤマタノオロチ退治の段より現代語訳分)
ここで、ワンポイントレッスンです。
→出雲神話の酒「ヤシホヲリノ酒」(八塩折之酒)とはどのような酒なのでしょうか。
学識者によれば、
「八」 とは 「たくさんとか多く」の意
「シホ」とは 塩と何ら関係なく、「物を汁にひたす度数」の意
「ヲリ」とは 「折り返す」の意
以上より、「何度も何度も繰り返し醸成した酒」ということになります。
→「ヤシヲリノ酒」の材料は米or果実どちらでしょうか。
素戔嗚命(スサノヲノミコト)、乃ち教えて曰く、「汝(いまし)、衆(あまた)の菓(このみ)を以ちて、酒、八甕(やはち)を醸(か)むべし。我(あれ)、當(まさ)に汝が為に蛇(おろち)を殺さん」。ふたはしの神、教えの隋(まにま)、酒を設(ま)とある。”
(日本書記第八段一書(第二)より)
以上より、果実酒を八甕(たくさんのかめ)一杯に造らせたものと推察できます。
→「ヤシヲリノ酒」の造り方は、縄文時代、木の実を噛んで果実酒を造っていたと推察されている=「口噛酒」ではないでしょうか。その後、稲作の伝播とともに、米の「口噛酒」に移っていきます。