秦氏と月読神社(つきよみじんじゃ)
月読神社は松尾大社の摂社として、松尾大社の南400mの地に鎮座しています。
文献によれば、御祭神は、月読尊(つきよみのみこと)で、もとは海人の壱岐氏によって壱岐島において海上神(海の干満を司る神)として奉斎されたものです。
月読神社創立に関わる伝承が『日本書紀』顕宗天皇3年(487年)2月条にあります。
“阿閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたのでこれを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(山城国葛野郡宇多野)の地に社を創建
されたとされています。
社伝には秦氏のことは何も記載されていませんが、月読神社が京都にもたらされるにあたって、秦氏が関わった可能性が強いと推測されています。
秦氏により松尾大社に筑紫国宗像の海の神を祀り、月読神社には壱岐にある月読神社を分祀しています。これについて、北條勝貴氏(上智大学文学府史学科教授)の興味深い見解を紹介します。
“秦氏が日本列島に渡来し、山城に定着するまでの経路において、宗像氏、壱岐氏など海人族と接触し、血縁的にも文化的にも融合が進む中で、海女族の氏神が分祀されてきたものと想定される。”
以 上